ファンレター信仰がつらい話

題名にも書いたがとにかく昨今のファンレター信仰がつらいのである。

 

私は平凡ないち腐女子だ。

当然周囲の人間もオタクや夢女子や腐女子ばかりなのだが、最近とにかくファンレターの話が多くて辟易している。

同人誌でも商業誌でも、とにかくファンレターをもらって嫌がる人はいないだの、自分がファンレターを書かなかったから好き作家さんが筆を折ってしまっただの、文章が苦手ならこうやってファンレターを書こうだの、一つ一つは腹を立てるような話ではないのだが毎日聞かされると「うるせえ!!!!」と叫びたくなる。

常識的なファンレターならもらって嫌がる人がいないのは当然だろうが!逆に何か配慮が足りなかったりお互いの相性が悪ければ気分を害することもある、そんなの言われるまでもないわ!何でそんなことで毎日毎日学級会するんだ!

作家さん自身が明言したわけでもないのに「好き作家さんが筆を折ったのはファンレターが無かったせいだ」と考えるのは乱暴で傲慢だとは思わないのか!っつうかファンレターがあったって色んな原因で折る時は折るわ!

作家さん自身が明言してたなら、それはそれで自分の作品を人質にしてファンを脅すんじゃねえ!って思う。

あと、そもそも本を読むのと感想を書くのって全然違うことだから!違うことを無理矢理セットにして、苦手な人に肩身の狭い思いをさせるの本当にやめてほしい。

感想を文章化するのが得意じゃない人にわざわざレクチャーしてまで書かせる必要は全くないし、趣味の世界に義務感を持ち込んだら終わりだぞ!いつだって「やらなきゃいけない」が人の情熱を奪うんだ。「本を読んだら感想を書かなきゃいけない」なんてことは断じてない!

 

少しタイプは違うが、「正しい応援の方法のレクチャー」は商業の方面でもかなり見られると思う。

発売○日以内に買え、電子ではなく紙で買え、電子のフェアは作家の印税が引かれることがあるから注意しろ、手紙を出せ、アンケートを出せ、古本屋は問答無用で潰せ……

正直「そっちの事情なんぞ知るか」である。本は好きだ、愛している、けどだからと言ってその感情をあてにされて業界の負債を読者におっ被されても困る。

ネットの声では編集部に届かないから手紙を出せと言うが、そんなのはこのご時世にエゴサもしない編集部の怠慢で、そして編集部の怠慢は読者がフォローすることじゃない。

電子ではなく紙で買え云々も同じことで、悪いのは明らかにシステムの改善をする必要があるのにそれを放棄して不自由な方向へ読者を誘導する人達であって、断じて電子書籍を買う人達ではない。

だと言うのに「本を買うだけでそれ以上の行動をしない読者はいないのと同じ」だの何だのと…どうして創作界隈がこんなにしんどいことになっているんだ?と首を傾げざるをえない。

 

いや、少なくとも商業の方の原因はわかっているのだ。出版不況。これは業界人でなくても誰でもわかる。

だが、今のこの状況は読書離れを加速させるだけではないのか。あれをしろこれをしろ、しなければ愛する作品がこうなるぞ。という言葉の繰り返しはいつしか無言の脅しになり、熱心なファンーー本来一番大事にするべき人間ーーを真っ先に疲弊させていく。そして一番声を届けるべき人間である、違法なやり方で本を閲覧するような層にはいつまでも届かない。

 

皆、もっと自由になれば良いのにと思う。

人に指示されることなく、それぞれが自分に合った方法で本を楽しみ、感想を伝えたい人はそれを伝え、誰も自責の念を抱くことなくコミュニティを盛り上げていく。そんな風になってほしい。

「感想の書き方」はここ数年でQRコードや選択方式など様々なタイプが誕生した。だがそれは本当に多様化なのか?「読書」という、百人いれば百通りの楽しみ方があろう趣味の、多様化と言えるのか?私はそうではないと思う。

 

ここまで長文を書き散らせば薄々察せられるだろうが、私はレビューもファンレターもじゃんじゃん書くタイプだ。でも、それは私がそうしたいからしているだけ。それも含めて私の「読書」の形だからしているだけだ。

だから、私は自分のスタイルを他人にどうこう言われたくないし、自分が正しいとも思わない。

とにかく私はもうファンレターの話は見たくないのだ。平和な気持ちで読書がしたい、ただそれだけ。終わり。